匿名リサーチ197X




FILE No.   :「AC1979X」
RESEARCH TITLE:「アグネス79年の謎を追え!」


 1979年7月5日 ―― その日、1冊の詩集が出版された。「不思議の国のアグネス」という。タイトルが示すとおり、著者は誰あろうアグネス・チャンその人である。この詩集を読んだ貴方の心は、貴方の体を離れ、彼女の不思議な世界へと入って行くことだろう。今から22年前、果たして彼女は何をこの詩集に託したのか・・・? この詩集に秘められた事実とは・・・???





ここは、POOR EAST RESEARCH社(P.E.R.C.)。クライアントからのさまざまな調査依頼に応える民間調査機関である。
その一室に松岡チーフ以下、エージェントである各メンバーが集まっていた。

松岡: これが、その詩集か。一見、なんの変てつもない詩集にみえるが・・・ 私は、むしろこれより、さっきから桐島君が手にしているそのCDが気になっているんだが。
桐島: これですか? アグネスさんの新曲です。皆さんもうお聴きになりました? とっても素敵な曲ですよ。
松岡: 最近の彼女の活躍は、同年代の我々にとって嬉しい限りだな・・・では、吉川君。早速、調査報告を頼む。
吉川: はい。彼女・・・アグネス・チャンさんは、1979年頃を境にとても大人っぽく、美しくなったといわれています。彼女をいったい何がそうさせたのか? というのが、クライアントからの調査依頼です。
和田: 79年のアグネスさんといえば、髪を切ってイメチェンしたり、ビキニ姿を雑誌で初公開したりしてファンを驚かせたっスよね。もー、ビキニなんて「コレもん」だったっスからねぇ!(両手で弧を描く)
松岡: おいおい、 それは失礼だぞ。「グラマーな」とか、「おっきい胸」とか、せめて「きょ」・・・い、いや、もういい・・・ったく、フォローに困る奴だ。女の子に嫌われるぞ。
伊達: アグネスさんは、当時、大人の女性として「脱アイドル」について真剣に考えていたようです。でも、彼女の悩みはそれだけにとどまらなかったのです・・・
桐島: えっ? それはいったいどんな悩みだったんですか?
伊達: 実は、アグネスさんは恋をしていたんです。そして、その事実は、この詩集に密かに託されてました・・・
松岡: なるほど・・・恋する女性は美しくなるって言うからな。いずれにしても、彼女が「きょ」・・・いや失礼、女性として美しくなった謎についての調査が必要のようだな・・・吉川君。
吉川: はい。じゃあ斉藤さん、ファイルNo.AC1979Xをお願いします!





貴方は「諸世紀」という書物をご存知だろうか? かのノストラダムスの予言詩集である。彼は様々な予言メッセージをこの「諸世紀」に託したとされる。そこに記されたことの意味を知った後世の人々は、現実の出来事とのあまりの符合に戦慄したのだ。
彼女の詩集「不思議の国のアグネス」は、これに似た驚くべき内容のものであった。むろん、これは決して予言書などではない・・・彼女は76年迄に、3冊の詩集「小さな恋のおはなし」PartⅠ~Ⅲを出版していた。恋にあこがれるこれらの作品の印象から、メルヘンチックな内容を予想していた我々の目に飛び込んできたのは、まさに彼女の生きた「心の叫び」であった・・・

この詩集は大きく5つの章からなる。140頁に及ぶ全文をご紹介するわけにもいかないので、簡単に概要を示すことでご容赦いただきたい。


Ⅰ章 不思議の国のアグネス
同名アルバムにちなんで、各編のタイトルが曲名とオーバーラップする。つまり、「Woops, What's This」~「Wonderland」までの12曲分、12編で構成されている。アルバム収録曲の歌詞とは無関係で、すべて彼女のオリジナル作だ。かの「諸世紀」を思わせる難解な文章が多い。彼女の、大人になることへの不安と葛藤、あるいは恋の迷いや悩みが、「大人にしないで 痛い思いをさせないで」「脱皮期」「不安期」「かなしばり」などの言葉に象徴され、スリリングかつショッキングな内容として、切々と綴られている。冒頭に「あなたの視線をかんじたその時」という言葉があるのだが、これについては後ほど触れることにする。

Ⅱ章 小さな恋のおはなし
20編で構成されているが、全て「小さな恋・・・」Ⅰ~Ⅲからの抜粋である。特筆すべきは、絶妙な詩の選択と配置による構成により、詩集全体の違和感が感じられないところだ。アルバム制作の感性とセンスが生かされているといえよう。彼女は、「詩人」である以前に「ミュージシャン」なのである。

Ⅲ章 遙かな人へ
詩集のメインをなす章。15編プラス、姉ヘレンとの手紙のやりとりで構成されている。「遙かな人」とは誰を指すのかは言うまでもない。手紙にははっきりとBoyfriendという言葉が記されている。ほぼ全編にわたり、恋する彼女の新鮮な気持ちと、恋人に対する切ない想いが綴られている。Ⅰ章に比べ、理解しやすい文章だ。それだけにA我々の目はその一編一編に釘付けになり・・・心臓は早鐘を打ち・・・唇は乾き・・・やがて全身の血が凍り・・・頭の中が真っ白になっていく・・・

Ⅳ章とⅤ章は、それぞれ物語風の連作になっている。ところが、一見童話にみえるこの2編にも、ただ者でない彼女の鋭い感性によるメッセージが込められている。

Ⅳ章「ぼくはぼく」
「ぼく」とは彼女自身を指している。少年である自分を「船」「飛行機」「汽車」にたとえ、それぞれ「大きい船-いっぱい人や物を乗せる」「小さな飛行機-ひとりしか乗せられない」「汽車-お母さんを子供達のところへ運ぶ」とある。「船」は歌手としてファンの人々とのブロードキャストな関係、「飛行機」は、プライベートな人との関係、「汽車」はボランティア活動を通じての恵まれない子供達との関係を示す、としたら、彼女のライフワークそのものにぴたり符合する。これは驚くべきことである。父母と別離して暮らす「ぼく」が、より大きな人間となって父母との再会を果たすことを願望するところにも、家族と遠く離れて生活する彼女の心境を読みとることができる。

Ⅴ章「レオ」
「レオ」というライオンが、「ラブ」といううさぎとの出会いをきっかけに、心を開いていくさまを描いている。「レオ」は彼女のことであろう。では、「ラブ」とは何者か? 「ラブ」とは、彼女の心の中に住む、もう一人の自分である。「レオ」は「ラブ」からの手紙の「友達がほしかったら、自分から声をかけるのさ」という示唆により、誰にも声をかけられずひとりぼっちだと思っていた自分が、「心を開き」「明るくなり」やがて友達や恋人が出来るようになったとしている。彼女に、「ラブ」を意識させることになった誰かが現実にいたのか、あるいは、後述する恋人との出会いをきっかけに、その声が聞こえるようになったのかはわからないが、彼女の中で大きな変化があったことは確かである。





松岡: う~む。彼女がそんな詩集を出していたのか。いろんな著書があるとは聞いていたが・・・まさに揺れ動く23才の乙女心が託されているってことか。
和田: そーなんですよ!こんなふうに、ゆっさゆっさ、って・・・(両手を胸の前で上下に動かす)
松岡: わかったわかった・・・もういい! 彼女をそれ程までに揺さぶってしまった原因を、さらに調査する必要がありそうだな。それと、手紙も気になる要素のひとつだ。
伊達: はい。それでは続けます。





1978年8月14日、彼女はカナダ留学を終え、日本の芸能界に復帰した。引退当時には、既にミニスカハイソを卒業し、留学中の2年間は、彼女をさらに人間的に大きく成長させたといえる。卒業後の進む道について、彼女には迷いがあった。大学院に進み心理学の研究を続けるという選択肢もあった彼女が、「2年間の空白」を覚悟しての芸能界復帰を決意した理由は、何だったのか? 彼女は、TV番組「いつみても波瀾万丈」のなかで、「言葉を選ぶように」こう語っている。

・・・父の死後、母は寂しがっていました。母から、私が歌手として復帰することを望んでいる、ということをそっとうち明けられました・・・

そして、彼女は渡辺プロの新レーベル「SMS」に移籍し、新曲「アゲイン/グッドナイト・ミスロンリー」で歌手として再出発を果たしたのだった。ただ、マスコミは復帰を歓迎するものと、疑問を投げかけるものとが入り交じっていた。彼女は、ファンには熱烈に歓迎されたが、当時の歌謡界はピンクレディー全盛期であり、ロックやニューミュージック系アーティストが台頭していた時期でもあった。彼女は歌手としての今後の方向に新たな局面を迎えようとしていた。彼女の楽曲は、どの曲をとっても、音楽的には高い水準のものばかりである。ライターやスタッフにも恵まれ、むろん彼女自身もアーティストとして高い理想を持ち、常に真剣に取り組んでいることを示すものだ。ただ、皮肉なことに作品の水準と、ヒットチャートとは比例してくれないのが嘆くべき現実なのである。
彼女は、かつて経験したことのないようなイベントもこなさねばならなかった。大根や白菜の並ぶスーパーの店先で歌うこともしばしばあったという。これは、復帰後さらに加速した、納得した仕事しかうんといわないという彼女の傾向、悪くいえば仕事の選り好みの傾向 ── これは、紙一重なのだが ── に対する事務所の制裁だったともいう。彼女の目指す「脱アイドル」と、事務所が望むそれとは、異質のものだったのかもしれない。

Ⅰ章の「I'm late, I'm late」には「みんなよりおくれる」「誰なの 時間をかぞえはじめたのは」「数字があるかぎり私はちこくする」「数字をつくったのは誰」「数字のない国でくらしてみたい」という言葉が並んでいる。この「時間」や「数字」を、「チャート」或いは「売上」に読み替えるとどうだろう。ちょっと考え過ぎだろうか? 勉学だけでなくビジネス面でも、負けず嫌いでプライド高き彼女の、焦る心境が現われているような気がしてならない。
ここで、Ⅲ章にある、「姉さんからの手紙」について少し触れてみよう。電話で彼女から悩みを打ち明けられたヘレンとの手紙のやりとりである。家政婦さんが辞めてひとりぼっちになり、落ち込む彼女をヘレンが優しく慰めている。こんな記述がある。

・・・自分の好きな音楽をやりはじめているのね  いいんじゃないですか  不安でしょうけど
   今は君のいちばんつらい時かもしれない  でもきっと聞いてもらえるよ  いつかは・・・

ヘレンの言葉は「脱アイドル」と密接に関連する、彼女の「音楽の方向性」についての悩みを裏付ける一言である。。そして、プライベートな手紙をも公開する心境に至った彼女の悩みは、ただならぬものだったに違いない。どうあれ彼女は、自分の音楽の原点に近いフォーク・ニューミュージック系に、その音楽の方向性を模索していったのである。蛇足であるが、紙ふうせんの名曲 「冬が来る前に」 は、彼女のために用意された曲なんだそうである。彼女の引退により、作者の歌唱で発売され大ヒットとなった。以外に知られざる事実である。


78年8月、彼女はあるラジオ番組のゲスト出演をきっかけに、DJをしていた男性フォークシンガーA氏と巡り会うことになる。A氏は、もとより彼女の大ファンであった。 A氏は、初対面の彼女の印象を著書(83年2月15日初版)にこう記している。 A氏が、彼女の大ファンであったことを差し引いても、彼女のあふれる魅力を、端的に伝える一言であろう。

・ ・・彼女の純粋さは、今までに出会ったことのない新鮮な驚きだった。何故こんな美しい人がこの世に存在しているのだろうか・・・

78年12月、2度目のゲスト出演の際、A氏と意気投合した彼女は、彼をクリスマスパーティーに誘った。だが、彼は遠慮気味に断わった。彼女は、次の瞬間、メモ用紙に何かを書いて彼に手渡した。そこには、なんと彼女の家の電話番号が書かれていた・・・

彼女は、このハンサムな好青年との恋に落ちたのである。

Ⅲ章に「海の見える公園」「恋日記」という二編の作品がある。彼女は、彼から音楽や日本の生活文化について学び、映画に行き、ポップコーンを食べ、青春を語り合った。そして、海の見える公園で・・・


海の見える公園

あなたのとなりに坐りこむ   深く深くすわりこむ
いなくなる いなくなる    消えてゆく 消えてゆく
あなたの腕の中に消える    あなたの腕の中に消える
あなたの一部になる      あなたの一部になる
海の見える公園   
あなたのとなりに坐りこむ   
ずうっと坐っていよう     空とぶつからないように


わーっ、ロマンチックだなー。これはつまり、その、俗にいう、いわゆる、キッ・・・
ちくしょーっ! やめやめっ! もーやーめたっ!!  わ ──────────────────!! ←号泣

・・・取り乱して失礼しました。

詩集が完成した79年6月、まさに彼女は恋の真っただ中にあった。これらの詩が示唆する、愛し合う二人のこういったプロセスは、ごく自然の成り行きではある。
ところで、この章に、とんでもなく大きな謎を秘めた詩が存在する。何度、読み返しても鳥肌が立つような詩である。そのタイトルは、まさしく・・・


ひ・み・つ

誰にもおしえない  誰にもおしえない  大事なひみつ
口にしてしまえば  消えてしまう    消えてしまう
私のひみつ
もうこれ以上読まないで  最後までおしえないから
もうこれ以上せめないで  最後までがまんしたい
ほら・・・    もう読まないで
ここまで・・・  ここまで





松岡: 誰にも教えない彼女の「ひ・み・つ」・・・か。究極の謎だな。彼女がまさかこんな詩を書いていたとは・・・この詩、取り方によっちゃ、抱きしめあってキッ・・・どころじゃなさそうだぞ。
吉川: チーフ。抱き・・・こほん。抱きしめあって、とまでは書かれていません・・・
伊達: 詩というのは、その著者の主観そのものです。客観的評価は極めて難しいといわざるを得ません。それに、全てを読まずに、この2編だけで速攻判断するのは危険です。ただひとついえることは、この「ひ・み・つ」が、Ⅲ章のラスト、つまりクライマックスに配置されているということです。そして、手紙、童話・・・と展開します。
松岡: ここしかないというポイントにある訳か。彼女の作家としての鋭いセンスには、改めて驚くばかりだな。
桐島: チーフ。アグネスさんの謎を100%解明するのは、ご本人じゃないと出来そうにないですね。でも、いいことだけじゃなくて、当然つらくて思い出したくない事もあったでしょう・・・それは、人間誰しも同じですよね。
松岡:そうだな・・・「ひ・み・つ」は文字どおり永遠の謎として、彼女の心の中にひそかに眠り続けるものなのかもしれんな・・・
伊達: では、気を取り直して、次にいきましょう。
松岡: 相変わらず醒めた奴・・・感動ってものはないのかねェ、恋でもしてみたらどーだ?
伊達: お気遣いありがとうございます。





彼女は、79年に雑誌でビキニ姿を初公開した。その見事な肢体にはファンならずとも驚かされたものだ。おまけに髪を切り、相当なイメチェンを図っていたのだ。前述の「脱アイドル」という意味合いが強く感じられるが、あれだけ肌をさらすのを嫌っていた彼女のこと、相当の決意だったことは間違いない。
当初、てっきり失恋して髪を切ったものだと思われたのだが、切ったのは79年3月、HEM誌のシンガポールでの白いビキニ撮影の直前である。A氏との交際が始まって間もない頃で、髪を切ったのと失恋とはどうも無関係のようだ。彼女になかなかよく似合う髪型ではなかろうか。長い髪もいいが、少し短めでフワーっとした感じが、彼女の新たな魅力を引き出している。
ところでひとつ気になることがある。この髪型の写真、彼女の表情、笑ってないのが多いようである。これも、「脱アイドル」を意識したパフォーマンスのひとつなのかもしれない。

さて、恋によって、女性の肉体や精神にはどのような変化がもたらされるのか? ちょっとまじめで専門的な話になる。女性は思春期になると、女性ホルモンにより様々な肉体や精神の変化がおきる。恋愛による変化はこれと全く同じ理由だ。ご本家F.E.R.C.のFile No.0029にある調査報告の「女性は恋をすると奇麗になるのか?」がまさにそのレポートとなっている。その報告および、独自調査などからいくつかピックアップしてみよう。
心理的には「印象操作効果」と呼ばれる、異性の視線を強く意識し、表情や仕草を可愛く自己演出するといった行動が現れる、とある。ここで、前出のⅠ章にある「あなたの視線をかんじたその時」という言葉を思い出していただきたい。まさにぴったりと当てはまっており、驚くばかりだ。
医学的にみてみると、愛する男性を恋しいという感覚は、大脳辺縁系の扁桃核に伝達され、脳下垂体の性腺刺激ホルモン分泌を周期的に促す。このメカニズムにより女性ホルモンの分泌が理想的となる。女性の卵巣から分泌される女性ホルモンには、エストロゲンとプロゲステロンの2種類があり、生殖機能や月経をコントロールする。エストロゲンは発情ホルモンとも呼ばれる。エストロゲンには子宮や子宮内膜の発育、また乳腺の増殖、膣粘膜のしっとり感や自浄作用等の外性器に対する作用がある。また、涙の成分であるヒアルロン酸が増加して、目が輝いて見える。DNAに作用し、コラーゲンを作り出して弾力性のある肌となる。一方プロゲステロンは、主に黄体や胎盤から分泌されるステロイドホルモンであり、黄体ホルモンの一種でもある。プロゲステロンは卵胞の成熟と排卵をとめるほか、乳腺の発育を促す。要するに、恋する女性は、より女性らしく美しくなり、おっぱいがおっきくなるということである。この思春期とホルモンの関係については、彼女の最近の著書「みんな未来に生きるひと」にも、分かり易く解説されている。「思春期には、ホルモンが身体中をかけめぐり、女の子は胸が大きくなったり(中略)おしりや太ももが太ったり、ウエストが細くなったりします」

ビキニについてもう少しこだわってみたい。HEM誌が、「白いビキニ」と「青いビキニ」でスクープ先行した。地球の重力を再認識させる如く白いビキニからこぼれる彼女の胸は、凄いの一言である。いっぽう、MYM誌は1ヶ月後、驚くべき企画で対抗した。我々を「あっ」と驚かせたそれは、「黒いビキニ」でのアグネス・ラムとの競演であった。当時、水着グラビアアイドルの頂点に君臨していたアグネス・ラムをも凌駕する、彼女の「はちきれそう」な豊かな胸・・・そして、見事なまでの曲線美・・・
せっかくラム嬢にご登場いただいたので、その「美しさ」を競ってもらおう。ラム嬢は1956年生まれ。ミス・ハワイを経てモデルとなり、日本でブームを巻き起こした。注目すべきは、二人の身長がほとんど違わないこと。ラム嬢も156cmと意外に小柄なのだ。二人に共通するのは、顔が小さく、足が長く、メリハリがある、女性にとって理想的な体型だってことであろう。気になるスリーサイズは、ラム嬢のデータは諸説があってよくわからない。記憶によれば、インタビュー記事に「実際は83です」とあったようだが、定かではない。いっぽう、我らがアグネスは、といえば、ご存知のとおりである。では、どっちが・・・といいたいのだが、まあ、お互いの尊厳もあるし、東西巨房会談から国際問題に発展したらまずいかもしれないので、客観的ご判断にお任せしよう。例のビキニのツーショットでは、ラム嬢が胸を隠しぎみに彼女と腕を組んでいる。ちょっとした謎である・・・ちなみに、再びこの「二人のアグネス」が競演した企画は他にまず聞いたことがない。なぜ第2、第3弾が実現しなかったか、これもまた謎だといえそうだ。
彼女の著書「ハッピーアゲイン」(78年9月10日初版)にこんな記述がある。

そのときわたしは着がえをしていたの。お母さんは私を見て言いました。
「あした、ビキニを買ってあげるわ。(中略)いいプロポーションしてきたね。」
お母さんがほめてくれたのは、なによりもうれしいの。

さすが、母親である。しっかりとチェックされていたようだ。話はそれるが、実はこの「ハッピー・・・」にも、ほんの少し、カナダでの恋人についての記述がある。恋愛によるエストロゲンやプロゲステロンの分泌亢進はすでに始まっていたのである。ちなみに、その彼は2mの長身だったという。卒業とともにこの「大きな彼」との「小さな恋」はトロントの街に風とともに消えて行った。
お気づきの方もあると思うが、彼女をいろいろな写真で見てみると、その時期によって痩せたりふっくらしたりしているようだ。ちなみに彼女の身長と体重は「小さな・・・」PartⅡの「私のCommercial」という詩に、154.5センチ、44.5キロと自ら記している。この数値は75年当時のものだが、現在もほとんど変化していない。引退直前のWPB水着と、79年のビキニ群を比べると、後者の方が少し痩せているようにみえる。さきのA氏も彼女と初対面の時の印象を、「可愛いというよりも、細くて美人」だったと記している。また、彼女とビキニ対談したアグネス・ラム嬢も「あなた少し痩せたんじゃない?」と対談で語っていることも事実である。当時、やはり彼女は少し痩せていたのかもしれない。

恋する彼女の肉体は、「医学的」および「心理的」要因によって、より美しく変化していった。それは、彼女の関係者の証言もさることながら、彼女自身のヴィーナスのごとく美しく眩しいビキニ姿が、何よりも明確に物語っているのである。





松岡: 長かったな・・・相当なこだわりようだ。
吉川: ここでは、彼女の外見的美しさの変化について、かなり主観的な調査報告となってしまいましたね。
松岡: 相当、筆が滑ってるぞ。まるで土屋圭市のコーナードリフトだ。このままコースアウトするんじゃないか?
伊達: 彼女の美しいビキニ姿への思い入れは、男性ファンにとって相当なものがあるようです。止むを得ないことかもしれません。
マイケル: ところで、今、それに関する新たな調査依頼が入りました。「彼女のビキニは何種類かあるようですが、全て彼女のネームが入っています。彼女は既製品が合わないのでしょうか? それと黄緑のビキニは小さい写真しかないのは何故?」といった依頼です。
松岡: 謎が謎を呼ぶ・・・アグネスのビキニってとこだな。これも調査が必要だな・・・
和田: お任せください。よしっ、片山っ、行くぞ!
松岡: こういう調査だけは元気だな、あいつ・・・
伊達: ますますコースアウトしそうですので、そろそろ今回の調査のまとめに入ります。





最後に、彼女の「愛」について触れてみたい。彼女は、詩集のあとがきにこんなふうに記している。

人生は「愛」です

愛があれは 心もひらく
愛があれば 自由のままで生きられる
そして、いつか私たちの愛は、この地球をつつめるほど大きくなる
そして、いつか私たちの愛は、2000年代の少年を育てる
私ひとりには出来ない事
あなたひとりにも出来ない
愛の魔法はみんなで実現させるものなの・・・
そう・・・私の愛をうけとめてよ・・・
そう・・・仲間になってよ
このページをめくったときに あなたは愛の魔法使いになった。

このまま詩になりそうな文面だ。はたして、彼女は何を語りかけているのか? 驚くべきことは、「2000年代の・・・」とあるところだ。彼女は、このとき既に20年以上も先を見つめていたのだろうか。 彼女は将来ユニセフ大使として、世界の子供たちのために働くことをすでに予感していたというのか。そう取れなくもない。仮に、そうだとしたら、その先見性には驚くばかりである。
一方、別の見方がある。文面をよく見直してみよう。いつか私たちの愛は「少年を育てる」の直後に「私ひとりには」「あなたひとりにも」それは、できないことだとある。いったい、「少年」とは、何を意味するのだろうか? 彼女は、この時すでに「結婚」の二文字を意識していたと読めはしないだろうか。23才の彼女が、すでに結婚を意識していたとしても、何ら不思議はない。つまり、彼女は結婚し「愛の魔法」すなわち神秘の力によって生命が育まれ、「少年」すなわち自分たちの子供を育てることまで考えるに至った、というわけだ。むろん、これは何の根拠もない「仮説」にすぎない。

A氏は、著書でこう語っている。

・・・今まで自分が使っていた「愛」という言葉の意味が、いかに狭義的であったか
   彼女の愛は「神の愛」だった。 彼女は、恋心の上に神の愛と同じ種類の愛をもって、僕を愛してくれた・・・
さらにこう記している。
・・・彼女は、いつも言っていた。人間はひとりで生きているのではなく、大いなる生命の集合体である、と。  
   だから元は皆たったひとつでそれをつなげる方法は「愛」でしかない・・・

話は違うが、彼女は、ビートルズ・・・とりわけジョン・レノンがお気に入りのようで、しばしば講演などで彼の曲を歌うことがある。ジョン・レノンはビートルズ解散後、ソロ活動において「イマジン」に代表される作品でその精神哲学と人類愛、世界平和へのメッセージを世界中の人々に贈り続けている。彼は凶弾に倒れたが、彼のその精神は、今なお多くの人々に受け継がれている。彼女の「愛」と、ジョンの「愛」には、そのグローバル性において相通じるものがあり、彼女がジョンの歌を好んで歌うことには、十分肯けるし、共感と感動を新たにするところだ。

ところで、二人の「愛」は、その後どうなったのか? 気になるところである。A氏の著書によれば、彼女のことが書かれた項のタイトル 「出会い、そして別れ」 が示すとおり、結局、二人の愛は実らなかった。

・・・僕にはその「愛」に答えるだけの大きな心が備わっていなかった・・・

A氏は、そう一言だけその理由を記している。彼女の尊厳に最大に配慮した言葉であるが、「私の愛をうけとめてよ・・・」という彼女の言葉とは、鋭い対照をなすのが印象的である。彼はこう結んでいる。

・・・彼女が僕に残してくれた本当の意味での「愛」が、僕の中で少しずつ育ちはじめている
   僕はその「愛」を大切にしながら、自分の人生を歩いていきたい・・・

詩集のⅢ章にこんな詩がある。

風よつたえて

すきとおった風に出会ったら  たより下さい
まぶしい空に出会ったら    しらせてね
「ぼくの夢は大きすぎて 愛のふねにはのせられない つらい気持 わかってね」
旅人よ いつもいつも   足音だけがのこるのね
旅人よ いつかいつかは  私の心にとまって
わかれるならだきしめて
愛の誓いを  炎が風で消えるまえに口づけを
「二人は遠く離れても 心はひとつさ さみしい時に書く歌も 君のため」
 
「愛」の素晴らしさ、「愛」の切なさ、「愛」の大きさ、そして「愛」の難しさ ・・・そして、「愛」の大切さ・・・
二人は、これらのことを我々に教訓として残してくれた。そして、彼女は詩集を通じて、これらのメッセージを、その「大きな愛」をもって伝えたかったに違いない。

それは、彼ひとりへのメッセージだったかもしれない。あるいは、あなただけへのメッセージだったかもしれない。
そして、世界中の人々へのメッセージだったかもしれない。

貴方は果たして、彼女の愛を受けとめる自信はおありだろうか?
   貴方にとって、愛とは何だろうか?
      貴方はどんな愛をお持ちだろうか?

愛とは・・・

それは、科学ではとうてい解明することのできない、永遠の「謎」なのである・・・





松岡: 「愛とは?」か・・・人類の壮大なる普遍的テーマに迫る結末だったな。科学で割り切ることができないからこそ、人生はドラマチックだといえるのかもしれないな。
吉川: アグネスさんの真剣な生き方と、ひたむきなその愛には、学ぶべきものが多いですね。
松岡: そのひたむきさが、時として仇(あだ)となる・・・か。
伊達: え?何ですか、今のは? 意味シン、いや・・・意味不明です・・・。
松岡: まだまだ青いな。せいぜい愛の修行を積んでくれたまえ。
伊達: お気遣い・・・ありがとうございます・・・。







<参考文献&資料> 「不思議の国のアグネス」六興出版 「ハッピーアゲイン」二見書房
            「みんな未来に生きるひと」 旬報社 「芸能人失格」立風書房
            「いつみても波瀾万丈」NTV 「週刊実話」「月刊明星」「月刊平凡」ほか

          
※ 著作権は著者ならびに出版社に帰属します。





<作者からひとこと>
MeiMeiです。彼女の知られざる素顔とあふれる魅力について、クールかつ科学的に迫ろうと思ったのですが、いささか主観的に過ぎるところがあるかもしれません。アグネス様はもちろん、A氏こと阿部敏郎様、関係者の皆様、どーか、ひらにお許しを・・・
えっ?お前はいったい何者だって? 彼女より4才年下の、妻子ある普通のサラリーマンです。末筆ですが、いつもお世話になっている我が師LOW様、こんなすばらしい機会とともに、ご監修まで頂き本当に感謝します。ありがとうございました。
今後とも「アグネス学」のご指導をよろしくお願いします・・・しかし、とてもお互い他人と思えませんな・・・(笑)

2001年 4月   MeiMei

追伸 4月25日リリースの、彼女の新曲「忘れないで -Time to say goodbye-」(詞:三木たかし/曲:荒木とよひさ)をお聴きになられただろうか? 故テレサ・テンのために用意された曲なのだそうだ。テレサの遺志を継いで彼女が熱唱する素晴らしい作品だ。たとえ恋が終わっても、素晴らしい愛があったこと決して忘れないで、というこの曲の意匠と、今回のレポート内容との偶然の符合に、私は驚きを隠せない。えっ、まだお聴きでない? それはいけない! 最寄りのレコード店へ、Goっ!!





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