掲載紙:週間女性
日付または号数:1985年11月5日号
主題:真夜中に新しい櫛で髪をすき妻になります
副題:「祝決定!'Xmas挙式
本文: 元マネジャー・金子力さん(31)と国境を越えた愛の障害を解消させて、香港で結婚式を。アグネスの母も遂に承諾した挙式スケジュール

「お母さんがOKしてくれました」
 10月17日午後3時、ホンコンから成田空港に着いたアグネスは、開口一番、こぼれるような笑顔でそういった。
 まっ白なツーピースにハイヒールと、まるでウェディングドレスのようなアグネス。
 すぐ横には、シックなグレーのツーピース姿の母・陳彭端淑さんが、ニコニコ笑いながら、娘に付き添っている。
「ホンコンに帰って、お母さんに”金子さんとの結婚を許してください”とお願いしたんだけど、はじめは怒られました。”親戚の人たちにも相談しないで、日本で勝手に発表して”と」
 そして、ホンコンのアグネスの自宅に十数人の親戚の人たちが集まり、親族会議がはじまった。
 ホンコンでは、昔の日本以上に”結婚は家と家の結びつき”という考え方が今でも強く、親族会議で許しが出ないと祝福してもらえないのだ。
「最初2日間は親戚の人たちになかなかわかってもらえず、とてもしんどかった・・・。親族会議中は、彼が私の家に来てもいけないし、外で彼に会ってもいけないんです。
 彼は、(ホンコンの)ホテルで待っていて、私一人が会議に出て、説得しなくてはならないのです。ダメといわれたら、わかってもらえるまで末しかないと覚悟していました」
 アグネスと金子さんの交際がはじまったのは、57年に彼が彼女のマネジャーになったときから。いわば、”オフィス・ラブ”である。
 金子さんは、昭和29年横浜市の生まれで、早稲田大学を卒業して渡辺プロダクションに入社。沢田研二のスタッフなどを経て、アグネスのマネジャーに。離婚歴がある。
 そして今年の7月にアグネスにプロポーズしたあと、渡辺プロを退社。
 8月19日から5日間、アグネスと金子さんは彼の両親とともに香港を訪れ、彼女のお母さんに(お父さんはすでに亡くなっている)結婚の許可を求めたのだが、最終的な返事がもらえないままに帰国した。
 というのも、アグネスのお母さんとしては、「出来れば中国人と結婚して欲しい」という気持ちが、まだ強かったからである。
 そんなお母さんを説得するため、アグネスと金子さんが再び香港へ発ったのは10月13日だった。
 出発前のアグネスはかなり神経質になっていた。取材陣のカメラにもおびえるようで、いつもの明るい笑顔が見られなかった。
「6割は許してもらえると思うのですが、残りの4割はだめなような気がして・・・」
 と、祈るような表情で話していたのだが・・・。13日、14日と、2日間の親族会議では反対の声が強かった。ところが、15日になって突然OKに。
「私がしんどい気持ちでいるのをお母さんが察してくれて”私は許そうと思います”と応援してくれたんです。それで、親戚の人たちもOKといってくれました。
”やはり、お母さんは私のことを思っていてくれたのだ”と思い、とてもうれしかったです」
 そういってアグネスは隣にいるお母さんを見、お母さんもニッコリ笑い返す。
――お母さんは、どうしてOKする気になったんですか?
「前から金子さんのことは知っていて、とても誠実で礼儀正しい、いい人だと思っていました。そして、二人がとても仲良さそうなのを見て許しました。娘が幸せなら、それが一番ですから」
とお母さん。
 通訳しながら、アグネスがまるでジャレつくように、お母さんのワキ腹をコブシでコツコツ。そのしぐさからも、二人がとても信頼し愛し合っている母娘なのだ、と実感できた。
 許しが出た翌16日、金子さんは晴れて陳家の夕食に呼ばれた。
「お母さんの許しが出たよ、と伝えたら、金子さんは安心したのか、ごはんのおかわりをしました」
 思い出し笑いをしながら、アグネスがそう話す。
 そして、アグネスは、一人でお父さんのお墓へ行き、結婚を許された喜びを報告したという。
 さて、いよいよ次は挙式だが、これは中国の習慣で、占い師に日取りを決めてもらうことになった。
「12月25日の午前11時半に式を挙げれば幸せになれる、という結果が出たんです。でも今からではとても式場は間に合いません・・・」
 そこで、こんな方法がとられることになった。
 まず12月17日に結納。そして12月25日の午前2時に、アグネスが自分の家族の前で、新しいクシで髪を前から後ろにすく。それから午前11時半に、金子さんとアグネスがそろって、天に向かって拝み、指輪の交換をする・・・。
 そんな中国の古式にのっとった式をまず挙げておき、改めて来年の1月11日にホンコンの教会で挙式、そしてホテルで披露宴を行う。日本でもその後に改めて披露宴を行うが、日取りは未定だ。
 結婚後も、アグネスは歌手活動を続け、一方渡辺プロを退社した金子さんは、父親が経営する清掃会社を手助けしていく。また、横浜市戸塚区には、すでに二人の新居が建設中だ。
「これからは、金子さんのご両親が”いい娘をもらってよかった”といってくださるような家庭を作りたい」
 と話すアグネス。子供は?という質問に、
「早めに、なりゆきでつくります・・・」
 と答えながら、その色白のほおをまっ赤にそめていたのが、とても、ういういしかった。
 おめでとう、アグネス。